ぱられら

018

運が勝つか自分が勝つか

題名のような事を考えた事があるでしょうか。

いきなり何を言うんだこの下痢便野郎はと思うかもしれませんが、今回はド真面目なお話になります。なので、いつものテイストが好きだという選ばれしゲス野郎は他のテキストサイトに行ったほうが後悔しなくて済みます!

当たり前かと思われますが、「努力」しますよね。そう言われて、「はい、常日頃から!」なんて明朗快活にも程が有るほどの返答を出来る方っていうのは少ないんじゃないかと思うんですが、少なくとも生きていく上でそれなりの努力はしていると思います。

例えば高校受験だったり就職だったり、はたまたは生活をしていく上で、自分が考えるベターな手を取って、自分が不幸になるという状況を避けようとしたと思います。たとえそれがずる賢い方法や、手を抜いても、「ズルをする努力」という言い方をすれば努力の一環になると思います。

そんな努力の甲斐あって、概ねの希望が叶えられたとします。これは、努力の産物ですね。

ただ、例えば、こう考えてみてはどうでしょう。自分は努力もした。けれども、「何ともタイミングよく、偶然にも」という要素が加わったお陰で、自分の努力以上の成果が出たと。

抽象的な話をしててもわかりづらいので、具体的な話をします。

大学受験を控えた冬、周りの受験生に負けないぐらい勉強をしていました。ただ、勉強を始める時期が遅くて思うように偏差値が上がりませんでした。ただ、滑り止めの大学には良い判定が出ていたので、記念受験をしようと2ランク程上の大学を受けてみることにしました。

1日程しか無い試験当日、何と自分を含め数人程度の学生以外、インフルエンザで試験を欠席していました。1日程しか無いので定員割れも考えられるほどです。で、話の都合上となりますが、自分はその2ランク上の大学に無事入ることが出来ました。

これは、自分が勉強をある程度して、記念受験でも受けようと思ったという経緯が有ったからこその状況だと、まずは説明出来ます。ただ、それだけでは記念受験で勝ち星を挙げられなかったと思います。前述の、「偶然にも体調不良で休んだ学生」のおかげでこの舞い込んできた運を物にする事ができました。

話が二転三転して申し訳ないのですが、この状況を自分の力100%で物にすることが出来たと考えられます。それは、「自分の体調管理のおかげ」といえることも出来ます。

このような状況ですと、「自分の努力に加えて運が加わって良い成果が出せた」という考え、「自分の努力は及んでなかったから完全に運のお陰」という考え、それに加えて「舞い込んだ運をものに出来たのは全て自分の努力のお陰」というような3通りの考え方になると思います。

これが、冒頭で書いた「運が勝つか自分が勝つか」という考え事に帰着するわけです。

どうしてこんな話をしたかというと、このような話に大きな時間差が有った時に、より深く考えてしまう訳です。

ここからは自分の話を例に挙げてますね。

ご存知、僕は浪人をしました。浪人時は一年先に大学生活を始めた友人の話をイライラしながら聴いてた覚えがあります。

ただ、地元の友達は現役生が多かったので色々大学生活についての話を気軽に聞けました。それは就職活動に入ってからもそうでした。なので、浪人したことによって色々お得な情報を先取りして聞けたわけです。

また、浪人するまで大した苦労もせずだったので就職試験で聞かれた「一番苦労した経験は?」という問いに浪人をしたお陰で答えることができました。(第一志望の会社で、しっかり答えられたので内定をもらえました)

少し一般化して話をしますね。この「浪人」ですが、このやっちまったなぁクールポコ状態だった浪人生活が一転、大学の後半になってきて良い作用をしたわけですね。自分の怠惰によって引き起こした「浪人」のお陰で事が運んだのは「運」と言えるでしょう。

また、「浪人」をした事によって半ばキレ気味で大学に入学をしました。「このくそが、1年のビハインドは大学の勉強を頑張って、その他生活を充実させることで取り返す。」そんな気概を持って入学したので、自分から積極的動いて、同級生に情報を得て行くなどとしたことによって就職活動が上手く行った事も事実です。これは、「浪人という運をモノに出来た自分の努力のお陰」だとも言えます。

どの話にも共通する事は、「浪人」という選択肢を選んだのは自分だったわけです。ド底辺のすべり止めの大学は受かっていたので、そこを選んでしまうことも出来ました。

つらつら長々と書きましたが、やっぱり結局は冒頭の「運が勝つか自分が勝つか」という一文に帰着します。自分の最善の努力の上に運が有ればこの上ないですし、考え方を変えればそれまで努力をしていなかったら、運を物にも出来ません。また、運を持ってくるのも自分の力だと考えています。

また、その時、その当時、「間違った選択をしてしまった。」と思うことも有ると思います。僕は浪人がそれでした。ただ、その間違った選択も自分でした選択なので、その選択に責任を持つという事をするはずです。

その責任を持つ過程で何かしらのアクションをすると思います。その行動の結果が数年後効いてくるというパターンも大いに有り得るわけです。

なので、要約して書くと「運という要素に自分の努力が負けるか、自分の努力が運を引き寄せるか。自分の選択に責任を持って、間違った選択も正しかった言えるように努力をするか」という感じになるでしょうか。ていうかこれ、当たり前の事を大げさに書いているだけですね…

40分ぐらいで勢いで書いてしまいました。この記事は後日加筆修正するかもしれません。ただ何となく、ココ数日でこういう話を友人と交わしたので考えを留めて置くために書きました。テキストサイトだからいいよね!

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